パイドロス
哲学者のプラトンは、師匠のソクラテスが様々な人と対話をする形式の著作を残したということで、現在に至るまで世界的に有名です。「パイドロス」はその中でも読みやすいけれど、奥が深いという部類になると思います。
さて、最近読み返していて、気になった箇所があったので引用します。
…神から授けられる狂気は、人間から生まれる正気の分別よりも立派なものであるということを、古代人はまさしく証言しているのである。
パイドロスP64,P64(岩波文庫)
さらにまた、次のような事実をあげることができる。——そのむかし先祖の犯した何かのたたりによって、世にも恐ろしい疾病とか厄災とが、その氏族に属する人々を襲ったことがあった。あるとき、彼らの心に狂気がやどって、神の意をつたえ、この疾病からのがれる道を、救いの必要な人たちのために見出してやった。すなわち、この狂気は、神々への祈願と奉仕にすがって、それにより罪を浄めるための儀式をさぐりあてて、そのときの災悪から解放される手段を、神に憑かれ正しい仕方で狂った者のために発見し、かくして自分がその心に乗りうつった人を、現在のみならず未来においても、完全に破滅から救ってやったのである。
要約すると、先祖が何かの罪を犯して神の怒りに触れたために、その氏族の後裔に「世にも恐ろしい疾病と災厄」が起こったけれど、それに苦しむ人々の中に狂気が宿って、狂気が持っている特有の洞察力により、その災いの原因を察知して神の怒りのよってくるところを突き止め、災難に苦しんでいた人々は、その怒りを解くためのしかるべき浄めの儀式を行うことによって、そのときの不幸から救われたということです。
ここでの狂気とは、覚知していない人々からは狂ったように見える状態であると解釈が可能でしょう。
災厄が起こる、つまり、圧がかかると、通常では達し得ない、意識的状態になって、鋭い洞察が可能となり、災厄が起こっている原因を突き止めることができ、原因の解決を試みるので、災厄がなくなり、不幸から救われるのです。
今後、私たちに、これでもか、これでもかというように圧が掛かるでしょうが、狂気が宿った人々には解決の方法がわかるのかもしれません。裏を返せば、狂気が人々に宿らない限りは解決できないのかもしれません。
あなたも、あなたなりに、「パイドロス」の内容を考えてみたらいかがでしょうか。