南天 Written by 楠見 優太

信念とは

教養

 現代のように物質文化が進まなかった、何千年も前から、洋の東西を問わず、人生を考える学者は、信念というものが一番大事だということを、色々な言葉で形容して教えています。

 キリストが誕生する前のヘブライのソロモンは、
「人の真の値打ちは、宝石でなければ、またその他の宝物でもない。人の値打ちは信念の二文字だ。」
と教えています。

 ソロモンだけでなく、それから後世の釈迦、キリスト、マホメッド、孔子も、それぞれ、この信念が大事であるいうことを色々な言葉で教えています。

 釈迦は、
「信じざれば救う能わず。」
と教えています。信念のないやつは救うことはできないという意味です。

 キリストは、
「理屈を言わずに信じろ。」
と教えています。キリストは理屈を言わずに信じろと言いますが、理屈を言わないで信じるなんて今の人間には困難でしょう。理屈を言って信じないよりも、理屈を言っても信じようとしないんでしょうから。

 マホメッドは、
「疑って、迷って、真理から遠ざかる者よりは、信じて欺かるる者、汝は幸いなり。」
と教えています。確かに、人間が疑って、迷って悩みと悶えで生きているよりは、信じて、一度欺かれてしまえば、どんな人間でも二度は欺かれませんから。

 孔子は、
「信こそ万事の元なり。」
と教えています。信がなければ何にもできないってことですね。信がなければ、目の前の食べ物に変なものが入っているんじゃないかと安心して食べれませんし、バスや電車なんかに乗るときにも、運転手や他の乗客を疑い始めたら、安心して利用することもできません。

 「青い鳥」の作者のメーテルリンクは、信念の重要性を、違った言葉で教えています。
「能うべくんば極めるもよし。」
 つまり、研究のできるものは欲しなさいということです。ただし、この世には極めても、極めても、極めてもわからないことのほうが、極めて分かることよりも多いのですから、
「極め能わざるものはただ信じるにしかず。」
と教えています。
 ところが、1プラス1イコール2でないと、承認を与えないところの科学の教育を受けているので、極め能わざるものは信じないほうがいいと、妙に、頑なに考えている気持ちを悪いと思わないために、本当に無邪気にものを信じようとする純粋な気持ちが欠けている人間が多いのではないでしょうか。

 ところで、クルト・レヴィンという社会心理学者は、自分の師である哲学者エルンスト・カッシーラーの「与えられた知識の水準を越えて前進するためには・・・後になって証明されるような方法や概念を、『非科学的だ』とか『非論理的だ』などと宣告を下す方法論的なタブーを打ち壊さなくてはならない。」(マローA. クルト・レヴィン―その生涯と業績、誠信書房、1972、p 12)という教えを述懐しています。

 再掲しますが、メーテルリンクは「能うべくんば極めるもよし。」、「極め能わざるものはただ信じるにしかず。」と教えています。私は、純粋に「良いものは良いもの」と取り入れると、一層人生が幸福になると強く思います。