南天 Written by 楠見 優太

君の名は。

教養

 平成28年に大ヒットした映画「君の名は。」は、あなたはご覧になられたことはありますか?

 私は、映画館では見なかったですが、レンタルで何回も見ました。

 今見ても全く色あせない内容ですが、私の視点から見て、「ここはすごいな」と思った点を申し上げます。

 一つ目は、彗星が落ちてきて、糸守町が壊滅的な被害を受けてしまうということです。
 それは、人間を超えた人知を超えたことが起き、その中では基本的に人間は、意図も簡単に消滅してしまうということです。ストーリーでは、主人公が過去に起こった彗星の落下の被害を最小限に食い止めるように奮闘するので、ヒロインたち生き残る、というように現在が変わります。
 しかし、ここでは、彗星という人知を超えたものが、糸守町になぜ落下するのかという疑問が生じ、また、誰の意図がここで働いているのかということを考えざるを得ません。

 二つ目は、主人公とヒロインがお互いが、夢の中で相手の意識と入れ替わり、しかも、それぞれの夢の中で意識している時点が、二人が実際に起きている時点と相違があるということです。
 つまり、究極的には、意識には現在・過去・未来がなく、あたかも同じであることを暗示しています。しかも、二人の肉体を「乗物」とした場合に、その意識は、例えば、主人公の体に、主人公自身の意識が宿っているときもあれば、ヒロインの意識が宿っているときもあるということを表現しています。これは、現実の私たちに置き換えれば、夢は眠っているときに見るだけでなく、起きているときでさえ見ている可能性がある。ただし、起きているときは、その起きているということが夢という意識を妨害しているので夢を見ることができない、ということを言っていることになるでしょう。
 もっと、簡単に言えば、星(夢)は夜空に輝くものでありますが、昼間になると見えません。しかし、昼間になって星という存在が消えたわけではなく、太陽の光(起きているときの意識)によって見えなくなっているだけです。

 三つめは、ヒロインが主人公に初めて会いにいったときに、主人公はヒロインをしっかりと認識できなかったということです。
 ヒロインが夢の中で知っていた主人公と、ヒロインが主人公に会いに行ったときの時間の流れがずれていたために、主人公はヒロインをちゃんと認識できていなかったということですが、私はこのことから、自分の周り(自然)は絶えず、自分に何かを伝えようとしていますが、普通は覚知していないので、その意図・メッセージを認識することができないということを表現していたと受け止めました。

 これについて、令和3年の現在から平成28年を振り返ると「ハッ!」とすることがあります。もちろん当事者の方の実際の事情には踏み込まず、その出来事を見聞きしたところで、自然がどういう意図を伝えようとしていたのかということを考えてみます。
 私の記憶に鮮明なのが、天皇陛下(現上皇陛下)の生前御退位のニュースであるとか、スマップの解散のニュースであるとか、人気漫画のブリーチ、トリコ、こち亀の連載が終了したニュースがありました。
 ここから私なりに読み解くと、「パスオーバーしなさいよ、早く身軽になりなさいよ。」と言っているようにしか思えないのです。なぜなら、令和3年の現在は、平成の当時と違って、社会の雰囲気が一変しているからです。
 また、彗星が「君の名は。」のストーリー上で重要であることを考えれば、これから人知を超えたことが起こるということを暗示していたと考えます。

 「君の名は。」は、本当に深いですから、CS60と同様に多くの人を魅了するのだと思いました。